ブックレビュー 「日本人民の歴史 羽仁五郎 著」

佐藤優が述べるところによると日本のマルクス主義の二大潮流である講座派は、対象を突き放してみることができず、労農派は対象を突き放してみる、とりわけ宇野弘蔵がそうである、と。
本書の羽仁五郎はマルクス主義講座派の代表的な歴史家であり、都市の論理で知られる学者である。
確かに本書も佐藤優が述べるような講座派の突き放してみることができない書き方で叙述され、日本人民は闘ったんだ!というスタンスである。
だが、その闘いは瞠目すべきものがある。
現代の歴史だけをとってみても、1941年当時も日本の労働者はストライキ。真珠湾攻撃をした1942年でも日本の労働者階級のストライキは268件。1943年、日本の労働者階級のストライキの件数。443件。1944年10月26日。日本の労働者階級の欠勤率40パーセントにおよぶ、とラジオで放送される。1944年ストライキ件数。296。1945年ストライキ件数。256件。1945年の日本の労働者階級のストライキ件数は164585人と増加。1931年小作争議。3419件。1933年小作争議。4000件。1935年小作争議。6824件。
これら歴史的事実を前にして私が評価することは、日本共産党の闘志である徳田球一や志賀義男は獄中で不転向だったかもしれないが、多くの無辜の労働者、農民はより徹底的に不転向だったのだ。1945年のストライキ増加数だけみても、近衛文麿が天皇上奏文を書かせてしまうような「左翼」の威力を感じさせるだろうが、これは日本共産党の指導もあるだろうが、人民がより生活に根差したことからくる反抗である、とみるべきだ。だがこのストライキ増加があっても敗戦直後の日本の大衆は「一億総懺悔」を選んだ。それはどういうことなのか。
羽仁五郎がオプティミスティックに語る民主主義と平和への前進が始まると言うような事態ではない、ということが戦後の始まりだったのだ。
そして羽仁五郎がいうようなオプティミスティックな民主主義と平和への前進が始まると言うような書き方を受け継いでいるのが日本共産党であり、そのような書き方は悪影響である。事実、現在の日本共産党を含めた日本の反体制はいかに自分が闘ったかを中心に述べる。
その述べ方に疑いを抱くのが「知」だ。
マルクス主義労農派の復活を。そこにこそ「知」があるのではないか。佐藤優の述べるところの突き放してみる、に従えばだ、という留保付きではあるが。
ちなみに羽仁五郎からみれば古事記も日本書記も天皇も三井財閥も信長もこっぱみじんに粉砕される。これほど愉快なことはない。

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