安倍政権は確かに独裁であり、ファシズムであるが…

安倍政権は確かに独裁であり、ファシズムであるが、そのファシズムという単語は国民国家間の戦争において成立する概念であり、現在のグローバリゼーションにおいては安倍首相は企業の雇われ社長の専断横行というようなものである。
国家が株式会社化した現在においては、戦争から福祉まですべて、民営化、市場にさらされるのであって、そのような状態において「神の見えざる手」などおきようがない。
なぜなら国家が市場の独占的な「民営企業」として君臨しているからである。この構造をまず押さえなくてはいけない。
国家が市場を独占するとは?
レーニンが述べた「国家独占資本主義­­‐資本主義の最高段階として」ではないか。
いま現在も、われわれ人民は帝国主義国家に生きており、資本主義の桎梏から解放されていないのである。
そして、帝国主義の一変奏である「グローバリゼーション」においては、徴兵制ができるとかできないとか、そのような国民国家の枠内で思考し、安保法制阻止を目標に掲げるのは、安倍自民党及び超保守主義官僚とアメリカ共和党右派とのビジネスとしての戦争化という新段階に対応できない。
徴兵制を敷設して、ナショナリズム国家として動員するその思考法は19世紀の思考である。
現在は、戦争の民営化ゆえに、徴兵制ではなく、兵隊の派遣労働者化、もしくは、派遣労働者による兵士化である。
国家が徴兵制を敷設して「福祉的なファシズム国家」は到来しない代わりに、兵隊の派遣労働者化、もしくは、派遣労働者による兵士化といういわば「効率的な傭兵」を生み出すのである。
自衛隊の後方支援とは下請け企業・日本の「効率的な傭兵化」ということである。
そのようなグロテスクな資本主義の最高段階としての「帝国主義」の一変奏である「グローバリゼーション」という状況では、
国家のために命を捨てるというのはロマン主義的なイロニーを含んだ戯画であるから、かつて赤木智弘が言った「ワーキングプアは戦争は希望」どころか、ワーキングプアこそが「効率的な傭兵」として「労働現場」である戦場に「低所得」で行かされるのである。

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