当たり前の話だが、作業員は「営業」ではない

どうも最近の日本企業は、作業員に「営業的な仕事、センス」を負わせる愚を冒している。その最たる愚が、郵政の「年賀はがき」の営業だ。作業員は作業に集中しなくてはいけない。その集中を「営業的な仕事、センス」を負わせることで阻害され事故が多発する。佐川のセールスドライバーなんてその愚だ。ドライバーはドライバー業務さえすればいい。
販売員が陳列作業するのはそれは「販売」に含まれるから陳列作業するのであって、それは作業員の作業ではない。
だから、販売員も「作業」しているから、という言い方は成り立たない。
というか、以前、グローバル企業「ユニクロ」で見た風景だが、黒人の店員がいて、彼は陳列と整理整頓しかしていない、そのことで賃金が低く抑えられているかもしれないが、この黒人に「接客」などユニクロは求めていないことを客の僕から見てもわかる。
つまり、私が主張したいのは職務の明確化ということだ。
日本企業の従業員への働かせ方は無限定である。
その無限定な働きかせかたに日本企業のブラック企業に連なる悪が存在する。
簡単に言えば、奉仕せよ、だ。
奉仕せよ、は新興宗教ではないか。
ジョブ・ディスクリプションを正規雇用は企業に要求しなければならない。
そのことが時短闘争の一歩である。

非正規の要求は別次元なのでここでは割愛する。

問題の位相が違うのだ。

日本全体に「営業的な仕事、センス」を過剰に要求されている。

そんな社会はいびつだ。

作業員の待機と営業の待機とはまた意味が違うし、当然、販売員の待機も意味が違う。
その混同をバカな使用者はおかしがちだ。

現在の日本社会ほど、仕事を蔑視した社会はない。

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