神戸須磨殺人事件は「冤罪」の可能性もあれば、元少年Aの手記はゴーストライターが書いた可能性もある

なかなか本屋でみつけることができなかった「元少年A」の手記「絶歌」を、今日、初めて本屋でみつけた。
ちらっと立ち読みしたけど、ライトノベルの陰惨さを「記録風」に書いた、そういう印象。
そもそも、神戸須磨殺人事件は「冤罪」の可能性もある。

冤罪説の記事。
http://www.qetic.jp/blog/pbr/archives/8701

「犯人は14歳の少年である。自分の場所も、車すらも持っていない人間が、「人間の同体部分」をどう誰にも見つからずに移動するのだろうか?

仮に見つからずに移動できたとしてどこに隠すのだろうか?」(文中より)そうである、謎である。

まあ、その真偽はともかく。
僕が読んだ印象は、「舞上王太郎」と変わりない「ライトノベル」です。

神戸須磨殺人事件は「冤罪」の可能性もあれば、元少年Aの手記はゴーストライターが書いた可能性もある。

顔写真、実名を明かせない人間だということを考えれば誰もが「「酒鬼薔薇」を名乗ることができる可能性は充分ある。バッシング、分析の前に「それは本当に著者なのか」という問いもあってよい。
 http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-299.html

「もし本物の「酒鬼薔薇聖斗」が本を書くのなら、筆名でネットもやってるだろう。
しかし、それならば、彼が医療少年院で親友になった青年と一緒に本を作った僕のところに、偽名でアクセスしてきてもおかしくない。」(文中より)ということである。

その噂の「絶歌」ではあるが、なぜ、書店は拒否したのだろうか。
その「拒否」こそが「マーケティング」の「戦略」に組み込まれていてもおかしくない。

私は極論を述べますが、「元少年A」の手記は「ライトノベル市場」もしくは「サイコパス市場」に進出したい版元の「商品」でしかない、ということです。

私は極論を述べますが、「元少年A」の手記は「ライトノベル市場」もしくは「サイコパス市場」に進出したい版元の「商品」でしかない、ということです。
なおった、という方が「元少年A」の手記を読んで言っていたり、逆になおっていないという方もいますが、そもそもその「著者」は本当に「酒鬼薔薇」なの?という疑いも生まれ、もしゴーストライターであれば「なおる」も「なおらない」もない。

「市場経済」を生き抜くための「商品」である、ということでもある。
元少年Aの手記はWである。

アマゾンを見よ、すでに定価の1500円を超えているではないか。
そのことが私たちが生きる「資本主義の現在」である。
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