なぜ、橋下の台頭を許してしまったのか

大阪都構想住民投票を民主主義がどうだとか語ること自体愚かである。これは大阪の行政権力をめぐっての権力内紛劇を住民投票をかりて、行った三文芝居である。改革に酔った小ナポレオン・橋下に権力を奪われたことにいら立つ旧勢力の自民党とその自民党に使われた「人民の党」・日本共産党の権力ドラマである。府民は反対しようが賛成しようが行政権力にいたぶられるのである。反対に熱狂した人々も愚かであり、反対派を封じ込める辛坊やニコニコ動画の男なぞは大阪都構想という枠内で何か語っているように見えるが、本音は自民党が大阪を握ればいいと言っているだけだ。自民党の大阪都構想が彼らの本音であり、その構想に橋下が加わるだけだ。

 
私が大阪都構想反対派の意見に素直にうなずけないのは、市のままでも行政の問題はあるのだ。その行政の問題を見ないからこその「橋下市長」の出現を許したのだ。大阪のアンチ自民は暗黙にアンチ共産党の意味もあるから橋下維新ではないか?

もし、大阪都構想が、その行政が問題であれば、「人民の党」・日本共産党が「改革」をすればいいではないか。
だが「人民の党」・日本共産党がその「改革」をしない。それはいかなることか。
日本共産党が行政の利権にしがみついていたいのもあるが、大阪市の巨大な財源を公平に分配することに大阪府民もそれは行いたくないだけもあり、さらに問題は、なぜ、橋下は大阪行政を握ったのか、という反省を今回の反対派勝利で左派はしなくなるだろう。
なぜ、橋下が台頭するのか。
なぜ、橋下の台頭を許してしまったのか。
なぜ、橋下が大阪を握ってしまったかを問うことが、なぜ安倍が首相なのか、在特会が出現するのか、という問題を問うことでもあり、それこそが左派が反省しなければならない政治的課題である。

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